三井美唄炭鉱閉山50年

三井美唄炭鉱が閉山し今年で50年目の節目になるそうだ。
今朝の北海道新聞の空知版に 三井美唄小(現南美唄小)、三井美唄中(現南美唄中)の同窓会が開催されたそうだ。現在は南美唄と呼ぶことが殆どで”三井”という呼び名は聞くことが少なくなった気がする。
 
私の父、祖父母は 三井の人なので子供の頃から三井にはゆかりがある。
1950年代には三井美唄だけで人口2万人!三井美唄小は3000人超のマンモス学校だった。
私が子供の頃はその三井美唄小跡が給食センターになっていたような気がします。
グランドでも随分、野球させてもらいました。
当時は子供の数も多く、運動能力の高い選手が多く、スポーツでずば抜けた存在が結構いたようです。
 
私がサッカー少年団に入団した30数年前 指導者の一人に南美唄小の佐藤邦夫先生がいた。
お亡くなりになったそうだが彼が率いる 南美唄ドジャースというサッカーチームは強く、美唄サッカー少年団はいつも苦戦した記憶がある。ただ、学年が私らがサッカーを始めたのは3年生!相手が学年上だったのでかなうわけもない。今でも記憶にあるのは練習したことが通用しないという気持ちになったこと。パワープレィにやられたといえるくらいの試合内容だったような。。。
 
話は戻るが炭鉱が閉山して2000人の従業員とその家族が美唄を去ったらしいが閉山直後の三井美唄には炭鉱全盛期の名残があり、結構、あちこちに商店やさんぽく商事があった(昔でいう配給所)今の自衛隊の施設内になってしまった場所には大きな沼があり釣堀があったり、子供が喜ぶ駄菓子屋が点々とあった。現南美唄小のすぐそばにも駄菓子、くじ屋さんありました。
 
閉山から50年で 何か街を上げて 行事を行う気配もなく静かに時だけが過ぎていってしまうような気がします
まだまだ、当時活躍した建物等、現存するものもあるので是非、保存して後世に語り継いでもらいたいなぁ・・・